マツバラミノリ

留学願書エッセイコンサルタント

コミュニケーション学修士号を活かしたコンサルタント、論文執筆添削

  • 福島県会津出身
  • 米国イリノイ州立大学
    Speech Communication/TV Production専攻
    Bachelor of Art取得
  • 米国イリノイ州立大学院
    Speech Communication専攻
    Master of Art取得
  • ドイツ・ケルンでIT系企業に勤める
  • 30歳で帰国し、以後フリーランスで留学カウンセリングを始める他、 海外番組TV(主にアメリカ)プロダクションマネージャーとして活躍

こんにちは!Rixことマツバラミノリです。

Speech Communication学は欧米諸国で学問の基礎となっており、プラトンやアリストテレスに遡り古代の修辞学、現代の言語表現の理論実践までを研究する分野です。雄弁と説得の基本原理を用い、論文・エッセイの執筆カウンセリングをしてきました。

また、語学力を活かし海外テレビ撮影チームのプロダクションマネージャーとして活躍の場を広げています。

My Story |通信簿改ざん中学生が英語のプロになるまでの話

「また赤点取っちゃった。この答案用紙をどうやって隠し通そう、もしくは、どのタイミングでお母ちゃんに見せよう。絶対機嫌が悪い時じゃない、いや、機嫌の良い時などない(私が悪事ばかりを働いていた為)。どのタイミングで見せても地獄を見る。どうしよう。これはもう点数を書き換えるしかないな。」

 

そんなこんなで赤丸を書き足し点数を書き換えた。挙句の果てに、実は私、通信簿の数字も書き換えたことがある。しかもそちらは、のちの三者面談でばれてしまい、無事地獄をみている。

母「成績も上がったみたいでちょっと安心しました」

担任「いえ、そんなことはないのですが」

というやり取りで、いとも簡単に通信簿改ざんが白日の下にさらされたのだ。

 

思い起こせばそれほど勉強が大嫌いで、特に英語の成績が悪かった私がなぜ今英文エッセイのコンサルタントをするに至っているのか、その物語をお話したいと思う。

高校編

英語に興味を持つきっかけは、ありきたりではあるが、テレビドラマと洋画だ。当時テレビでは毎日夕方にアメリカの30分コメディードラマが放送されていた。映画好きの両親を持ち家族でよく映画鑑賞にでかけていたし、自宅にはCS放送が通っておりありとあらゆる映画が見放題の環境にあった。共働きの両親を持つ私は学校から帰るなりどんなジャンルの映画もドラマも、それはそれは夢中に観ていた。

 

その頃に出会った「ビバリーヒルズ高校白書」で私の人生は一転した。なにを大げさな、とお思いだろうが、人生とはひょんなことから変わってしまうものだ。今となっては、たかがティーンドラマくらいでよく勉強する気になったもんだと感心するが、その当時の衝撃たるや皆さんの想像を超えるものがあるのだ。インターネットが世の中に浸透しきっている今は海外の情報が瞬時にどれだけでも手に入る。しかし当時はテレビや雑誌のメディア媒体を通してしか、情報は入ってこない時代。

 

アメリカの高校生はこんなにキラキラしているのか!こんなに大人っぽいのか!こんなに恋愛だの人生の挫折だの味わって生活しているのか!と、まるで異星人に出くわしたような感覚を覚えた。無知な田舎者の私はすっかりアメリカに魅了されてしまい、いつしか、私もアメリカでこんな風に生きてみたいな、と考えるに至ったのだ。単純でかわいらしいカッペの子である。その単純さが、無我夢中になれる秘訣だったのだろう。そこからはそれこそ人が変わったように勉強を始めた。

 

私立の高校に通わせていただくだけでも、商人の娘として有難すぎる環境を与えてもらっていたので、プラスで塾に行きたいなんて言い出せるはずもなく、無い頭で考えたのは、学校の先生に頼る、であった。教師とは子供に教える為に在る存在。それが無料で学校にいるではないか!(失礼)。英語教師に頼み込み、放課後の個人レッスンに漕ぎつけた。一端の社会人となり、精神を病むほどの現在の教師の激務具合を知った今では本当に申し訳のない無理なお願いだったのだが、快く引き受けてくれた先生には頭が上がらない。

 

余談だが、この先生とは30年振りくらいで手紙のやり取りがあり、「先生のお蔭で今の私があります」という、定型文過ぎて恥ずかしいがこれ以上なくしっくりくる言葉を送ることができた。まだご存命であったことも嬉しいし、人生中盤でこんな手紙が送れるのも、教員の移動がない私立ならではだ。

 

この時期に先生とみっちり文法をやり直し、英会話はもっぱらドラマから学んでいた。30分ドラマを録画しまずは日本語で観る。その後気になったセリフをピックアップし、副音声の英語で見直す。あらかじめ書き留めたセリフを今度は英語に書き直し理解できない表現を辞書で調べる。それをドラマに合わせ一緒に発音しながら、どういったシチュエーションでその言い回しを使うのかを頭に叩き込む、この地味作業を永遠に反復するのだが、これが効果てきめんであった。我ながらこの勉強法のお蔭で英会話能力は格段に上がったと思っている。現在はネット上にいくらでもドラマのセリフがテキスト化されたものがアップされているのでこの手間は必要なくなったのだが、ドラマと同時進行で発音してみるのはおススメだ。

お江戸短大編

高校を卒業するころには英語が得意科目となり、江戸の短大英文科にみごと入学するに至った。アメリカ留学を目指しての短大進学であったので、講義がほぼ全てネイティブの教授によって進められる学校を選択した。

 

目標があると周りに惑わされず突き進めるもの。初めての都会生活の誘惑にも負けず、ヨーカ堂、学校、自宅アパートの狭い三角地帯を回るのみの地味極まりない学生生活だったように思う。自転車のカゴにネギを垂らして走っている姿を同級生に目撃されコソッと笑われたりもしたが、大半はエスカレートで上がってくる上流階級キラッキラの同級生にとって、地方出身の私は新鮮な存在だったのだろう。意外と仲良く楽しくやっていけた。

 

また、外国人教授達が住んでいたコミュニティーと私のアパートが近いこともありプライベートでも仲良くさせていただいたので、彼らが長期休暇で家を空ける際にはハウスシッターと称し、住み込みながら猫のお世話もしたものだ。そんな関係性であったので、ネイティブの英語に触れる機会も積極的に活用でき、留学に備えることができたのだと思う。

アメリカ大学編

短大卒業と同時にアメリカ・イリノイ州立大学3年生として編入しスピーチコミュニケーション学科テレビ制作を専攻するのだが、入学前ESLに半年ほど在籍していた期間がある。残念ながら語学力だけでは生き残れないのが大学。そりゃそうであろう。日本語が話せるだけで日本の大学が楽々卒業できるのなら(経済面を考慮しなければ)国民総大卒である。

その為ESLは、英会話よりも、問題なく学生生活を送れるようなるスキルを身に着ける場として提供されている。日々の課題、プレゼン、テスト、論文に対処できるライティング力がなければ英語が話せたとしても単位獲得はできないのだ。英語が話せる、という事は、思いを的確に伝える、というスキルとは別次元の問題だ。兎に角よく話すが内容が一切入ってこないという人物はまわりに一人はいないだろうか。それと一緒だ。

ライティングスキルがアカデミックな場で必須な理由は以下。

論理的な構成: ライティングスキルがあれば、思考を整理し論理的な構成で文章を組み立てることができる。これにより、伝えたいメッセージが分かりやすく、効果的に相手に伝わる。

適切な言葉の選択: 言葉の力で感情や意図を表現することができる。適切な単語や表現を選ぶことで、相手に思いや情熱を鮮明に伝えることができる。

説得力のある主張: ライティングスキルがあれば、主張や提案を説得力を持って表現することが可能だ。論理的に整理された文書は、他者に影響を与え、行動を促すことができる。

感情の表現: 文章を通じて感情や経験を深く掘り下げ、相手に共感を呼び起こすことができる。思いや考えを言葉に乗せて伝えることで、人々の心に響くことができる。

観察力と洞察力の向上: ライティングを通じて、より深い観察力と洞察力が養わる。これにより、状況や人間関係をより正確に把握し、的確に反映させることができる。

上記を踏まえると、如何にライティングが留学生に必須スキルであるのかが理解できる。

さて、ここでもう一人の恩師の登場だ。ESLで出会ったブーシャンプ教授。彼女は大学でも教鞭をとるEnglish Writing博士であり、私達留学生にライティングの大切さ、自身を文字媒体として表現することの楽しさを教えてくれた人なのだ。今でも壁に当たることがあればアドバイスをいただくこともある。

それは、ESLを終了し授業が始まってから最初のプレゼンの日。課題自体はもう失念してしまったのだが、広島の原爆の話を題材として選択したのは覚えている。つい感情的になり、途中から構成は崩れ、感情的に涙をためながら原爆の悲惨さを伝えようとする私の気迫にクラスメイトは勿論唖然としている。原爆資料館の語り部も驚くであろうその様に、今思い出しても顔から火が吹き出そうになる。思いを伝える際、感情むき出しては伝わらないのだ。燃えるような感情が助けとなる場合もあるだろうが、アカデミックな場では不必要。冷静沈着に戦略をもって作りこまれた形式だからこそ効率的に伝わる事柄は多い。そして、それを教えてくれたのはブーシャンプ教授であった。それなのに大幅に脱線してしまった私は放課後、意気消沈して教授のもとを訪ねた。

You are what you write.

まさしくこれなのだ。教授がそこで放った言葉は今でも私の座右の銘である。例えば、直接の友人知人でない場合、人はあなたの人となりをどうやって認知するのか。現代社会であれば、インターネット上で公開されているあなたがそのままイメージとして作られるだろう。インスタで発信する画像や動画、どこかで書いた作文、やり取りするメールでもよい。おおよそは「書かれたもの」からあなたが判断されている。実際にあなたがどれだけ洞察力に優れ魅力的な人物であっても、書く文章が幼稚で構成のない文章であれば、人はそれがあなただと想像する。反対も然り。道筋立てて考えられない感情に任せた人物であっても、世に出る文章が明瞭適格であれば、他人には大変な人格者に映っているかもしれない。

この真髄を理解してからというもの、私のライティングは飛躍的に向上した。アメリカの大学ではPaperと呼ばれる、週一ほどで出されるクラス課題小論文があるのだが、この成績も万年Bの状況から脱出しAが取れるようになった。恐怖の卒業試験では4時間が与えられ、専門分野における自身の学びの総まとめ的な論文をその場で書く、という考えるだけで悪寒がし逃げ出したくなるラスボスが待ち受けているのだが、そちらも何とかクリアすることができた。因みに、このテストでは教科書、文献、ノート、辞書などなんでも持ち込みができる(多分ネットは使えないだろうが)。日本と違い、学ぶということは暗記することではない。情報を自分の知識として咀嚼し、必要な時にいつでも開けられる引き出しを多く持つことが真の学びだ。よって、「あ、あの情報は教科書のこの部分にあったな」と思い出すことができ、その情報を元に自身の論をサポートする証拠として提示するぶんにはなにも問題はない。

様々な思い出ができた大学時代ではあるが、格別な出来事が1つある。かつて英語を好きになるきっかけを作ってくれた「ビバリーヒルズ高校白書』(まだその話をする)はご長寿ドラマとして、在学時まだ放送されていた。「高校白書」からスタートした物語がメンバー皆大人に成長し、遂に最終回を迎えたのだ。寮住まいだったので、フロアの女子が一部屋に集まり涙を浮かべながら最終エピソードを見守った。国は違えど青春を共に過ごしたドラマなのはアメリカ人でも日本人でも同じだ。ドラマの終結と一緒に我が青春も終わったとばかりに、その部屋の全員が、ひたすら無言で画面を見つめていた。見始めた頃に「こんな国に住みあんな生活がしてみたい」と憧れた会津の片田舎の高校生は、その夢を叶えアメリカ人の友人達らとドラマの最終回を見ている。全く不思議な光景だ。

あれだけ沢山の経験をしたにもかかわらず鮮明に思い出すのはこういった些細な事柄だったりする。その時の光景というものは、寮の部屋の香りや湿度、友達のワクワクする息遣いを伴って、今でもすぐに追体験できるほど臨場感を持って心に焼き付いている。

日本でバイト編

こうして卒業した私は一旦帰国する。専攻のコミュニケーション学があまりにも楽しく、大学院に進みたかったのだが、なにせ軍資金がない。ごく一般商人の娘であり、いくらバブルを経験した両親であってもそこまで潤沢な財産は持ち合わせていない。あったとしても老後に楽しむ余裕は取っておいてほしいものだから、間違っても大学院に行くお金を出してほしい、とは言えなかった。そこで私は一年間実家に戻らせていただき、朝から晩まで働き倒した。朝はパン屋、午後はミスド、夕方からは家庭教師、その後深夜12時までパチンコ屋の球拾いと掃除。だが非常に楽しかった。過酷な労働時間のはずなのだが、充実とはまさにこの事と言わんばかりに楽しい思い出しかない。とは言え、あまりにも辛かったので勝手に思い出が脳内変換されている可能性はおおいにある。

一年間のバイト、それに奨学金があればなんとかなると高を括っていたが、最重要課題はそこなのだ。こんなに働いても濡れ手に粟とはいかず、さしずめカサカサの乾燥肌に粟、くらいの額だったので、奨学金が手に入らなければ何も始まらない。そこで我が身を救ったのも、やはりライティングスキルだ。

 

奨学金の申請にはエッセイが必要提出書類に含まれる。如何にして私が奨学金を享受するに値する学生なのかをツラツラと綴った訳だが、培ったスキルは無事発揮されたようだ。読み手はさぞかし私が素晴らしい才能を持った学生だと確信しただろう。嘘も方便だとか、噓も誠も話の手管だとか、嘘ではないにせよ表現の仕方で結果というものは変わるのだ。学費全額免除、プラス教授アシスタントとして収入を得るポジションもいただいた私は、みごと大学院生としてアメリカに戻ることができた。

アメリカ大学院編

大学院に進んだ者にあるあるネタとして、「その先を追求しませんか?」と教授のお誘いを受ける、というものがある。博士号、すなわちPh.Dを取りませんか?という誘い文句なのだが、これにうっかり乗ってしまうと一生勉強を続けければならない試練が待ち構えている。いくら勉強は「好きな方」に転換したとはいえ、そこは元赤点生、院で鼻血が出るほど勉強したので半ば燃え尽きていた。だから清くお断りし就職の道を選んだ。

 

大学院時代はドイツ人留学生軍団とよく遊んでいたので、その流れでドイツに住んでみることにした。どんな軽い流れでドイツに行ったのだこいつは、と思う方もいるだろうが、全くその通りである。若さゆえのフッ軽は2度と戻ってはこないので、お若い方は是非とも無謀な道を選んで欲しい。安定を好むつまらない大人になるまでの、少しだけのキラキラした時間なのだ。存分に馬鹿げた選択を謳歌した方が良い。私の場合は、この無謀さで、ヨーロッパに住む夢も叶えている。

ドイツで会社員編

卒業後の就職口をアメリカで探していたが911の影響でなかなか決まらず、さてもう直ぐ学生ビザも切れてしまうしどうしよう、というところで、ひょんな言葉をもらった。

「ドイツいいところだよ。来たことないなら住んでみれば?」

そうか。観光ビザは3ヶ月あるからその期間内に仕事を見つければ良いだけの話ね!と喜び勇んで、私はドイツに渡ったのだった。

 

さて、ドイツ語が1つもできないにも関わらず、幸運にもドイツのIT企業で就職する運びとなった。大学院からの友人ツテで、丁度日本語ができる人材を探しているとこの上ないおいしい話耳に入り、あれよあれよと採用に至ったのだ。ありがとう友よ。こういったネットワークの広がりも、海外大学に留学をするメリットのひとつである。各国から優秀な学生達がアメリカを目指してやってくる。卒業後はそれぞれ帰国し社会で活躍する人材となっていくのだから、結果として世界中に強靭なネットワークが構築される仕組みなのだ。

 

しかしここで立ち止まると、疑問が湧くのではないか。テレビ制作は一体どうなったのか。そうなのだ。大学院までいき学んだことをあまり生かしていない就職先。父よ母よ申し訳ございません。目先の楽しさを優先してしまい、ドイツに住んでみたいがためにIT企業に就職を決めてしまった娘を許してほしい。

日本でテレビ制作プロデューサー編

という訳で5年ほどドイツを謳歌していたのだが、父が体調を崩し30歳にして再度帰国を果たした。ここからがまた奇跡なのだが、これも知り合いツテで、夢のテレビ業界の仕事が舞い込んできたのだ。しかも日本の業界ではなく、フランス人が社長を務め、海外の撮影クルー向けのサポートを提供する企業である。DiscoveryChannel, Netflix等の番組に携わることができとても充実した日々を送っていた。

 

さすがエンタメの国アメリカ!と言わんばかりの予算がつぎ込まれる番組の制作現場をみては、日本の番組がチャチイ訳だよな、と感心したものだが、莫大な金額が動くがゆえに、要求もゴリ押ししてくるのだから感心ばかりはしていられない。こちらにもこちらの流儀もあれば文化も違う。日本国で撮影する以上守っていただかなくてはならないルールもあるのだが、ただ伝えるだけでは勿論聞く耳を持たない。だからである。こういった場面でもライティングスキルは役立つのだ。相手を説得に持ち込むのに効果的なツールとなる。

 

それはとある撮影現場だった。番組ホストの大物X氏も無事来日し撮影は順調、そう、あの日までは。日本の伝統武器を習得してもらい本番に臨む手筈であったのだが、どうにも扱いが難しく、途中嫌になってしまったらしい。

「もうこれは無理だと思う。できないし、やりたくない」

と仰せだ。これがないと番組が成り立たない、というか尺が全く足りなくたってしまうので、こちらとしては明日地球が滅びようともやらせなければならないのだ。しかしながらここは大事なクライアント様。

「いいからやれ。できないという字はこの国の辞書にはない」

と強要することもできない。アメリカ人クルーも総出で説得にかかるのだが、こうなってくると押しても引いてもどうにもならない事態となってきた。もうおしまいだ。絶望的な空気が流れる中、どうしたものかと頭を雑巾のように絞った私は閃いた。やはり論理的に説得せねば。ふと目についたのはXが左利きであったこと。

 

実はこの武器、構え方ゆえにそもそも左利きの人間が有利であるとの情報を発見した。

「Xさんは左利きですよね?これは元々左利きが有利に使いこなせるものなんです。左利きであったと伝わるかつての戦国武将も戦に勝っています(ここは私の作り話)。さすがX氏!運を味方につけるのもスターの証です。これを使いこなせるのはあなたしかいないし、あなたであるべきです!」

 

何故ゆえに左利きがラッキーであるかの説明をしたところ、気分一転、練習する気満々となってくれたのだった。論を支えるエビデンスを持って説得をする。これはライティングスキルから学んだ産物だ。

そして現在に至る編

こうして様々な場面で私を救ってくれたスキル。これまでも友人知人のお子さんからエッセイの添削やアドバイスを頼まれてきたので、それならば私が持つ知識を少しでも分かりやすく文章化されたものを作りたい、という意欲が湧いてきたのもこの頃。

 

あれほどフッ軽であった私がこんなにも腰が重くなり、マニュアルを書き始めるのに時間が過ぎてしまったが、人生に遅すぎることはない。とある人物が

「真っ当な人間は、人生の前半を自分のために捧げる。後半は人のために捧げる」

と言っていた。私もそれに習い、これからの世界を担う若い学生が夢を叶えられるよう、何らかの力になれればとこのマニュアルを完成させた。

 

学ぶことは楽しい ー そう感じていただける一冊になれたら嬉しい。

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